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哲学の道 [ムーヴィング・クロッキー]

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哲学の道。 車では何回も行ったが歩いたのは初めて。
琵琶湖疏水から流れてきたのだろうか疎水の水の流れは速い。

「哲学の道」 これを聞いただけでもう自分の頭も哲学モード。
といってもどういうことか何となくそんな雰囲気になっただけ。
ほんに哲学を理解できている訳ではもちろんない。

はっと、やはり現れてくる今年初めての赤い彼岸花と白い彼岸花。

地道の所は街中ではほとんど味わえない。
アスファルトに慣れた両足は違和感を持ちながらも、どこか心地良さを感じる。
地球からのエネルギーをダイレクトに受けているようだ。
天と地を繋ぐものが人間。とどこかで聞いた記憶が。
天からのエネルギーと地からのエネルギーを融合するのが人間と言うことか。
そんなことが感覚的に何か蘇ってくる。

目に見えない、奥深い人の心模様、それを言葉に著す。哲学する。
「歩き禅」と言う言葉がある。
まさに哲学の原点でもある。

知らぬが仏 [ムーヴィング・クロッキー]

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知って損する。知らないで得をする。
何てことがこの頃感じられる。
別に損得で動いているわけでもないのだが。

知ることで返って不都合が生じる。
自分の中の世界がそのことで狭められていく感覚。
せせこましくなる。

「知らないほうが自由ですね。」 と誰かに言われているみたいだ。



思考しない自分 [ムーヴィング・クロッキー]

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思考する自分と思考しない自分がある。
おおよそ98パーセントは思考している自分が占めている気がする。
思考するとは物事を固定化すること。
いわば他と区別することでもあり、限りなく自分を狭めていく。
ボヤーンとして何も考えないことはある種、罪悪と思わされる。

「脳は芸術を理解できない。」 と言えばヒンシュクをかうかも知れない。
でも本当に理解できない。
わずか2パーセントで芸術が生まれるとも中々信じられないことだ。

多面的視野 [ムーヴィング・クロッキー]

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もう夏のあの暑さを忘れてしまいそうだ。
全く自分勝手なものだ。

現実はいつもニュートラル。あくまでも状況。
そこに人それぞれの意識を与え、意味を作っていく。
その人だけの現実となるわけだ。

同じ現実でも見る人によって全く違った現実となる。
でも我々は同じ現実だと錯覚してしまう。
みんな自分と同じように見えていると。

同じものを上から見るのと下から見るときのように、全てはいろんな顔を持っている。

どうも一面的に見ることに慣れてしまったようだ。

上から見るとその車が次にどこに行くかが分かるはずだ。

融合 [ムーヴィング・クロッキー]

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ものを認識した時、個別化が始まる。
それは自分とかけ離れたものとして現実化する。
敵対視することの始まり。

何かに打ち勝つことで存在価値が得られる。
だから自分を守るために常に敵が必要になってくる。

病気などは特にそのことがはっきりと現れている。
薬でやっけること。菌を殺してしまうこと。がん細胞との戦いに勝つこと。
病気には勝たなければいけない。だから戦い続ける。

そんなことをあらゆる場面で日々やってきたわけだ。
戦いの連続。戦いの歴史。
それに勝つとエゴは大いに喜ぶ。
が、その喜びは長続きしない。

生命は融合することでその特性を現わす。
分離することは生命の本質から離れていく。

二つのものが戦うことなく融合していく道が
これからの時代のような気がするのだが。

温泉へ [ムーヴィング・クロッキー]

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もうすっかりと春の陽光。   
その光に誘われてドライブがてら、兵庫県の「よかたん温泉」へ。    
PM何とかの影響なのか天気がいいのに霞んでいる。   
もっとも目の悪さも十分に考えられる。   
もう今やどちらでもいいと思っている自分は何なのだろうか?     
1時間弱で「よかたん温泉」、意外と近いのに驚いた。   
早々にロッカーの鍵をもらって脱衣室へ。    と そのロッカーの鍵が見当たらない。   
ポケットをまさぐっても見つからない。   
あわてて受付に 「あの鍵が無いんですが」 と。  
受付には珍しい若い学生風のお兄さん。   「ロッカーの鍵ですか?」  とそのお兄さん。    
「ははい、そうです」・・・。   「左手首にはまってますよ」・・・。   
急いで浴場に入ったのは言うまでもない。     
いい汗が流せました。          

帰り際  『ロッカーの鍵をなくすと罰金 2000円なり』 の看板が目に入る。

  

全ては内にある [ムーヴィング・クロッキー]

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竜安寺に一度だけ行ったことがある。   
「吾唯知足」 という 蹲踞(つくばい) がある。  
禅の言葉。   
その意味合いは 石庭の石が「一度に14個しか見ることができない」ことを
「不満に思わず満足する心を持ちなさい」と。   
説明されていたと思う。    
禅には師弟で問答をして悟りに導く修行がある。   
どんなに上手く問いかけに答えても、必ず師匠にどつかれたと言う逸話を聞いたことがある。    
禅の深さを垣間見た時でもある。   
この世界にはいわゆる答えなどないのだろう。   
二人の中で流れるエネルギーを感じ合い、ある種の境地を見つける。   
そこにはもはや言葉など無意味になっているかも知れない。    
「吾足るを知る」も多くの解釈があっていい。        
「 全ては己自身の中にあって足りないものなど決してない 」 と理解すると大いなる力が湧いてくる。   

ムーントーク :「無い袖は振れない」

エゴの世界 [ムーヴィング・クロッキー]

エゴとは?   いろんな解釈はあると思うのだが。     感情によってゆり動く思考といってもいいのかも知れない。     起こる出来事に五感で反応し、振る舞いを指図するもの。    忙しく常に頭の中を走り回っているものでもある。    よく考えてみるこの思考は過去から多くのものを今に持ってきたり。   また未来に向けて多くのものを送り届けようとする。       そして今現在をないがしろにしてしまう。   一番大事な今を。    不思議だ。  どこをどうとっても今しかないはずなのに、今にいることができない。   これがエゴの正体。    随分と支配されてきたものだ。  

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ムーントーク :「永遠に今しかない」

過去を忘れる [ムーヴィング・クロッキー]

過去に縛られていることが意外と多いことに驚く。    過ぎ去ったものは過ぎ去ったとして忘れることは、どうもできないようだ。   何故なんだろう。    覚えていることは人として当然で、忘れることはもってのほかとなる。   過去からいろんなものを引っ張り出して、自分自身を重くしているのも事実だ。   このところ、知らず知らずに過去のいろんなものに支配されている自分をことあるごとに認識させられる。    「今に生きる」  ことが最善の生きる道.。    だがこれがなかなかできない。    ひとは多くの場合、過去の思いを今に持ってきて悩み続ける。    過去に起こったことを今解決しようとする。    本当はもう影も形も無いのに 。

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ムーントーク :「過去は過去のもの」  

解き放つ [ムーヴィング・クロッキー]

絵を描くことは自分を表現すること、自分を知ること、又、自分を解き放つことでもある。   解き放つ・・・子どもの頃よく空を飛んでいる夢を見たが、そんな感じ。  でも往々にして自分を閉じ込める作業に、いつの間にかなってしまう。  自由と不自由を同時に味わう。   「自由に好きなように描けばいいんですよ。」 の言葉ほど絵を描く者には難しいこと。  でもこれが本当にできなければ絵を描く意味が殆どない。  元来 「解放する」 ということに何かある種の後ろめたさがあるのだろうか。  「自由と気まま」 もそんなニュアンスがある。   体でも滞ってる所に意識を向けてエネルギーを解放するとフッーと楽になるものだ。   そう本当は楽になれればそれでいいわけだ。

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ムーントーク :「楽あれば楽あり」 
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