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多面的視野 [ムーヴィング・クロッキー]

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もう夏のあの暑さを忘れてしまいそうだ。
全く自分勝手なものだ。

現実はいつもニュートラル。あくまでも状況。
そこに人それぞれの意識を与え、意味を作っていく。
その人だけの現実となるわけだ。

同じ現実でも見る人によって全く違った現実となる。
でも我々は同じ現実だと錯覚してしまう。
みんな自分と同じように見えていると。

同じものを上から見るのと下から見るときのように、全てはいろんな顔を持っている。

どうも一面的に見ることに慣れてしまったようだ。

上から見るとその車が次にどこに行くかが分かるはずだ。

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コメント 10

末尾ルコ(アルベール)

「多面的視野」…一つのことは一つではない。
常に心の置いておきたい真実の一つです。

                             RUKO
by 末尾ルコ(アルベール) (2013-09-08 00:32) 

COLE

いいですねぇ
by COLE (2013-09-08 08:33) 

タックン

どんなに残暑が厳しくても
夏は突然終わってしまうという感覚がありますね。
「多面的視野」 常に意識していないと
こんなものと安易に自分と妥協してしまいそうです。
by タックン (2013-09-08 20:56) 

rosemary

ひとりとしてまったく同じ。。。という存在はないと考えると気が楽になりますし、おおらかになれますね。
わたしもこのところ、多面的に世界をみることに慣れてきました。
by rosemary (2013-09-08 23:36) 

きよたん

自分の見えるものと他人が見えるものは違うもの
似たようなものであっても全く同じというのは
ありえない
それぞれの感じ方
決めつけないことが大事ですね


by きよたん (2013-09-09 21:00) 

yoko-minato

あれだけ暑さに苦しんだのに
過ぎてしまうと懐かしくさえなります。
でもほっとしていますけど・・・ね。
by yoko-minato (2013-09-10 01:13) 

アールグレイ

自分の見方と人の見方とそれぞれ違いますね。

少しずつ秋めいてきましたね。
過ごしやすい気候になるのは嬉しいです^^
by アールグレイ (2013-09-10 20:07) 

キャスリーン・ケリー

ほんとに あの暑さは何だったのか
今 久々に日比谷公園で池を一人眺めています
最初 平板に見えていた人工の池に 夜の帳と街の灯りが入り雑じって 底無し沼のように どこまでも続いているような錯覚を起こさせます… 詩人?w
by キャスリーン・ケリー (2013-09-10 20:20) 

風船かずら

1人は所詮世界の中の小さな点、その個人も見ているものは時によりちいさな部分にすぎない。でもそれが世界なのですね。あくまで伝える、理解するその努力、腕力や武力によらず、高い理想を忘れたくないですね。
by 風船かずら (2013-09-14 10:47) 

青の風画

☆末尾ルコ(アルベール) さん

多くのことを1つが含んでいる。
そんな感じでしょう。


☆COLE さん

ありがとうございます。


☆タックンさん

グルッと一回りして一つが見える。
どうも一方通行で平面的に見ているのが
普通です。時にはと思います。


☆rosemary さん

絵を描くときによく裏側も想像して
描きなさいと言われたものです。
多面的にみるこは意識次第ですね。


☆きよたんさん

それぞれがそれぞれに見ている、考えている。
違っていることに気がついていない。
そこに食い違いができてきますね。
そんなものだと思っているといいのですが。


☆yoko-minato さん

季節の変わり目にはいろんなことを
感じさせてくれますね。
自然のめぐみです。


☆アールグレイ さん

過ごしやすくなる前に大変な被害が
でました。
私の方は大丈夫だったのですが。


☆キャスリーン・ケリー さん

まさに詩人ですね。
立体的に見るのは詩人も画家も同じです。
錯覚を見るのもまた芸術家です。


☆風船かずらさん

ミクロもまたマクロです。
小さいものも大きなものも行き先は同じです。
その見方にあるんですね。
by 青の風画 (2013-09-17 21:50) 

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