神のまにまに [新聞ですけっち]
「新聞紙に奏墨」
今年ももう終わりです。時のの流れの速さに驚きます。
いつも思うフレーズ。
何か気の利いた言葉が浮かべばいいのだが。
年を重ねることはすべて衰えていくことと思って、悲しくなる。
人の定めとは言え、何か他に良いことはないのだろうか?
やっぱり何かありそだ。
そうでなければ生まれてきた意味がない。
そんなことを思い続けてきた一年でもあった。
この世界は3次元世界、正確には4次元世界。
これはエゴが支配する世界と言ってもいい。
本来、人はこのエゴと本当の自分との2重構造。
ほとほと、ほとんどの時間はこのエゴに支配されている。
悲しいことにこの支配されている自覚がない。
もっと言えばこのエゴが自分であると信じ切っている。
ここにこの悲しさが宿る。
エゴは幸せ感と平和さを味わうことはない。
ひたすら欲を満たすことを第一に考えている。
まぁーいろんな欲がある。
そしてそれを何とか一生懸命、時には努力を惜しまず、
得ようと必死に働く。誰よりも多くと。
そしてそれを得ても満足するのはほんの一瞬。
また新たな欲を求めて走り始める。
人はそんなことを永遠に繰り返してきた。
一つエゴから離れてみてはどうだろう。
エゴを本当の自分が眺めるのだ。
その位置が5次元の世界。
そして自分がエゴではないという認識が目覚め。
どうもこのことを知るために生まれ、今まで生きてきた気がする。
その世界からゆっくりと眺めて見れば、世界は美しいはずだ。
神が創った世界だ。
あるがまま、神のまにまに。