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信用すれば [ムーヴィング・クロッキー]

人を信じることができますか?  と言うより その前に自分自身を自分が信ずることができますか?   と自分に聞いてみる必要がある。   これは結構難しい。  自分の内なる言葉を無視して、今まで結構自分を裏切ってきた気がする。  人の言うことは簡単に信ずることができるのだが、自分が考えたり決断をする時などは大いに迷って不甲斐なくなる。  また自分らしくありのままでいることも、こんな事が関係してくるのだろう。  本当は自分の中にしか真理はない。  実は外に現れる世界は内なる自分の反映。  どれだけ自分を信じられるか、 これからの時代の生き方に必要な気がする。

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ムーントーク :「まずは自分に気を使う」

奥琵琶湖・湖岸桜道路 [ムーヴィング・クロッキー]

京都の桜はもう葉桜。  新聞の記事に写真入りで海津大崎の桜が紹介されていた。  噂には聞いていた桜の名所。  天気もいいので出かけようか。  思い立ったのが昼過ぎ、かえって混んでないかもと、のんびりのドライブ。  2時間ぐらいで高島市にそこから湖岸道路に・・・ななんと?   道路脇に延々と満開の桜並木。  行けども行けども満開の桜、右側は奥琵琶湖。  びっくり、もう海津大崎まで行かなくても十分に堪能。  こんなに桜を見たのは生れてこのかた初めての経験。  何キロぐら続いていたのだろう?  

目の前にもう海津大崎の看板が見えてきた。  それならばとここは桜三昧と。   さすがに少し道が混んでいた。  でもそのほうが桜をゆっくりと眺めることが出来る。  歴史を感じさせる桜の風格、やっぱりここまで来たのは正解だ。  桜、さくら、サクラだ。   とそろそろ桜も終わりだろうと思っていると、なんの何の遥か彼方の湖岸まで桜が続いている。  そしてその果ての九十九折の奥琵琶湖パークウェーの満開の桜道へと続いている。   これは凄い所だ。  『奥琵琶湖・湖岸桜道路』 と勝手に名前を付けていた。   気がつけば琵琶湖一周の短くて長い桜の旅でした。

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ムーントーク :「写真はありませんが、どうぞ想い浮かべてください」

見えないこと [ムーヴィング・クロッキー]

目に見えたり触ることが出来る物は存在しているのを体験できる。 そしてこの体験は今までの世界ではとても重要だった。 「経験もしていないくせに。」とよく言われたものだ。  「証拠はあるのか。」 と言う言葉は犯人の最後のせりふ。 そして証拠を出さないと刑事ドラマは終わらない。 確固としたものがやはり現実世界では重要なこと。 目に見えなければ夢物語と言うことにもなりえる。 だが見えないことに大きな意味があるのも周知の通り。 実はここにこの世界の本質があるような気がする。 目に見えたものはその瞬間に過去となり、目に見えないものは永遠に今の時間の中。 そんな構造。 たとえば 「愛」 もまた目に見えない。 これほど多く語られるのにその実態は。   分からない、見えないが故に普遍性、不変性が溢れてくるのもだ。 芸術もまたこの目に見えない世界だ。   

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ムーントーク :「見えないものを観る」  

冬の星 [ムーヴィング・クロッキー]

今年も終わって行く。   身も心もきりっと引き締まる感覚が好きだ。   冬の夜空は高い。
何処までも見えそうなそんな大きな空だ。   星はより生き生きと輝きだす。 

今年もお世話になりました。 きたる年がいい年でありますように、お祈りします。

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夢と現実 [ムーヴィング・クロッキー]

「夢かうつつか幻か。」これはいつになっても面白いこと。この現実と言う強力な力場に何か翻弄させられていて本当のことが分からなくなる。死んだ時に「アー夢だった。」と言う話がある。これもよく考えると納得できる話。永遠の命があるならば当然のこととして捉える事ができる。そしてこの現実が実は夢なのだとなる。この夢の現実を一生懸命、躍起になって生きている訳だ。ここに何か大きな示唆があるのではとこの頃、真剣に思っている。時代も時代、そろそろどこかに風穴を開けないと息苦しくなってきた。この現実にある世界は様々に変化して、やがて姿を消してしまう運命。そう形あるものは全てなくなってしまうのだ。

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ムーントーク :「その無くなるものに何を求めるのだろう」

情報のありかた [ムーヴィング・クロッキー]

先ほどカダフィ大佐の死亡が流れてきた。今年は大きな出来事が目白押し。でもこの報道が本当かどうか自分では確かめようがない。日頃多くの情報を受け取るのだが自分で確認したことは殆どないのも、気が付くと不思議なことだ。そしてその情報をほぼ信じきっているのもマタマタ輪をかけて不思議なことだ。本来一つの情報をどう取るかは受け取る人の受け取り方次第。そして発信する方も発信の仕方次第。そんな根本的なことを忘れていたようだ。だからと言って人間への不信が決して募るわけではない。

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ムーントーク :「自分の中にしか確かなものはない」

自由なるもの [ムーヴィング・クロッキー]

「芸術とは何だ!」の問いに未だに答えることができない。もっとも答えなど無いのかもしれない。そしてもし答えを得てもその瞬間にもうそれは芸術とは程遠い意味になるのだろう。絵を描くという仕事も固定化してゆく作業。そしてその固定化されたものに又自分が縛られていく。そこからいかに自由になれるのかが芸術の持つ大きな役割かもしれない。  いつの時代にも人は芸術を楽しみ安らぎを得るのかが少し理解できた気がする。

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ムーントーク :「固定化できないのが芸術」

虚の空間 [ムーヴィング・クロッキー]

実を求める。実績を求める。手ごたえあるものを求める。確固としたものを求める。・・・空っぽの部屋にはいろんなものを置きたくなる。生きるということは形あるものを獲得すること。   無をもとめる。無実績を求める。手ごたえの無いものを求める。不確かなものを求める。・・・こんなことはあえてする人はいない。   部屋が一杯になったら、新しい部屋を創る。部屋を空にしようとは思わない、思わなかった。しかし獲得したものは全てそこに留まることなくやがて分解していく運命。全ては虚に戻る。実の世界から虚の世界にエネルギーが向かい始めた。

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ムーントーク :「虚は実を含む、が実は虚を含めない」

本来を見る [ムーヴィング・クロッキー]

人が物を見るときは過去にインプットされた何らか観念が働いている。純粋に物を見ることは殆ど不可能に近いと。例えば物をデッサンする時など、いかにいい加減なものの見方をしているかをいやというほど思い知らされる。固定された思い込みを通して見ていると言ってもいい。さあ今見ているりんごが果たして本当にりんごなのだろうか?自分が確かに見ているものは確かなのだろうか?そして目の前に見える世界は果たして何を映し出しているのだろうか。ここでもまたありのままの自分でいることが本来を見ることに繋がっているような気がする。

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ムーントーク :「目は見たもの以上のものを見る」

レベル [ムーヴィング・クロッキー]

人にはレベルがある。たとえば第1レベル、第2レベル、第3レベル・・・・∞ と。地球上にいる人を同じ地表から観る、ビルの屋上から観る、飛行機から観る、宇宙船から観る、月から観る・・・のとよく似ているかもしれない。人間は平等だという観念が本来の人間のレベルの重要性を隠してしまった気がする。でも現実には明らかに人々の間にはレベルの違いがあって、この人とはレベルが違うのだ。あの人ともレベルが違うということを本当に理解することができたら世界はもっと前に進んで、そして本来の平等がやってくる。

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ムーントーク :「3次元を理解するには4次元にいなければ」


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