ナンキンハゼの紅葉 [新聞ですけっち]
今年の紅葉は色爽やかな感じがする。 街路樹のナンキンハゼの紅葉は特に見事。 それこそいろんな色が溶け合いハーモニーを奏でている。 緑の中に黄色、黄色の中に橙色、赤の中の真紅、真紅の中の茶色、茶色の中の黒色。 少し黒っぽい幹や枝、空の青、道路に浮かぶ陽だまりのゆらめき。 あらゆる存在が調和している。 これを普通に創りあげる自然の美しさ。 こんなとき自分は本当の自分でいられるんだなぁー。 まさに 「今にある」 ことにどっぷりと浸っている。
ムーントーク :「自分に戻れると幸せである」
ムーントーク :「自分に戻れると幸せである」
騒がしい頭 [新聞ですけっち]
ボーッとして一日を過ごしていても頭の中は忙しく駆け巡る。 何が駆け巡っているのか、本当の自分なのか何なのか。 そして常にアッチ行ったりコッチ行ったりと。 この物理次元の世界はいかにもしっかりと確固とした存在と思っていたが。 どうもそうではない気がしてきている。 そう常にものごとは揺れ動いているわけだから。 だがエゴはこの確固とした物理次元が大好きだ。 ここに執着する。 ここを放そうとはしない。 そして本来の自分とこのエゴのせめぎ合いがおこっている。 どちらが多くを占めるか。 実に 騒がしくしているのがこのエゴというわけだ。
ムーントーク :「自分を捨てたとき自分が出てくる」
ムーントーク :「自分を捨てたとき自分が出てくる」
涼しい東京 [新聞ですけっち]
東京駅に着いたとき涼しい風、蒸し暑い京都からだったのでなおさらだ。 こんなに涼しいとは、滞在している間中、上着が必要だった。 そういえばこの夏まだセミの鳴き声を聞かない。 東京も京都も。 去年もそうだったのだがどうしたのだろうとやっぱり心配してしまう。 早めに鳴くセミの種類が日本からいなくなったのだろうか? 皆さんのところは如何ですか? 半年ぶりの東京、やっぱり流れているエネルギーが違う。 それぞれの土地にはオリジナルのエネルギーがある。 もちろん会う人ともそんな違いを味わうのも楽しみだ。 旅もまた違う時空を味わう。 違う時空と時空が合わさった時、そこには又新しい時空が生まれる。 そして世界は創られる。
ムーントーク :「セミよ何処に」
ムーントーク :「セミよ何処に」
青空と雲 [新聞ですけっち]
この青空は本来の自分のよう。 そして浮かんでいる雲は湧き起こる感情、思考、あるいはこの世界で起こる現象のよう。 自分の心模様は天気模様。 雨が降ったり雪が降ったり、晴れだったり、 と。 この現れては消えていくものに心動かされて右往左往し、これを何とかせねばと躍起になる。 黙っていても通り過ぎていくものなのに。 その上の世界は青空。 何処まで行っても青空。 それぞれの人のオリジナルな世界、空間。
ここに自分の意識を置く時、世界が変わる。
ムーントーク :「雲の流れに身を任せて」
ここに自分の意識を置く時、世界が変わる。
ムーントーク :「雲の流れに身を任せて」
ウエサク祭のスーパームーン [新聞ですけっち]
シャガの花に囲まれた鞍馬寺。 今年もウエサク祭に。 いつものように駐車場に車を入れようと思ったがどことも満車。 何回も同じところを行ったり来たりしたが空いている所はない。 残念だが諦めるほかないなぁー。 でももう一回だけ戻って、それでもダメならと・・・。 そんなところに駐車場のおじさんが出てきたので頼んでみたが、「残念やねー。今一台入れた所。」と言われた。 「他にどこかありませんか?」と聞いてみた。これでダメなら今年は・・・・。 おじさんが「ここに入れなさい。」と自分の車をわざわざ出してくれた。 とってもありがたかった。
午後7時、祈りの始まり。 月は雲に隠れて姿を現さない。 つい先ほどまで雨が降っていたのだろうか。 参道は濡れていた。 今年は連休のせいか境内一杯の人、赤い蝋燭に灯りを隣の人にそれぞれ灯してゆく、いっぺんに境内が蝋燭の炎に照らされていく。 命の一体感のような美しい世界が溢れてゆく。 その時、東の空に大きな月が出てきた。 まん丸のスーパームーン。 ヒマラヤの聖者が人知れず行っていると言われるウエサク祭。 日本ではこの鞍馬寺で行われている。 平日は入山料がいるのだが、どういう訳かウエサクのときは無料。 鞍馬寺は寺なのか神社なのか、それすらも分からない不思議なお寺。 巫女さんがいるんです。 祈りの中、フルートの爽やかな音色が響いたりもする。 そして観世音菩薩からの明水を皆で頂いて第一部の「清めの式」が終わる。
ムーントーク :「心に灯火が灯ると、それはおのずと隣人に伝わっていく」
午後7時、祈りの始まり。 月は雲に隠れて姿を現さない。 つい先ほどまで雨が降っていたのだろうか。 参道は濡れていた。 今年は連休のせいか境内一杯の人、赤い蝋燭に灯りを隣の人にそれぞれ灯してゆく、いっぺんに境内が蝋燭の炎に照らされていく。 命の一体感のような美しい世界が溢れてゆく。 その時、東の空に大きな月が出てきた。 まん丸のスーパームーン。 ヒマラヤの聖者が人知れず行っていると言われるウエサク祭。 日本ではこの鞍馬寺で行われている。 平日は入山料がいるのだが、どういう訳かウエサクのときは無料。 鞍馬寺は寺なのか神社なのか、それすらも分からない不思議なお寺。 巫女さんがいるんです。 祈りの中、フルートの爽やかな音色が響いたりもする。 そして観世音菩薩からの明水を皆で頂いて第一部の「清めの式」が終わる。
ムーントーク :「心に灯火が灯ると、それはおのずと隣人に伝わっていく」
想念世界 [新聞ですけっち]
物質的現実は3次元の世界。 ある意味固定化された世界とも言える。 頭の中で思うことは少し乱暴な言い方だが4次元以上の世界。 想念世界が繰り広げられる所。 現実の3次元を体験しながら実は4次元以上で動いている訳だ。 でもそれでも3次元の実質に身も心も奪われてしまう。 『お金があれば幸せになれる』 お金と言う実質、でも幸せと感じる世界は想念世界の4次元に。 この構造が本当に面白い作用だ。 そしてこのことが本当に理解できれば全てが変ってくる。
ムーントーク :「頭の中は4次元以上」
ムーントーク :「頭の中は4次元以上」
振り子 [新聞ですけっち]
片方に振りきると今度は逆方向に振れる・・・振り子。 幸せの絶頂にいると何故か不幸を連想する。 幸せを何とか維持しようと躍起になるのだが、この世界の法則はそうはいかない。 必ず反対の方向へと力が流れるわけだ。 それをタダタダ振り子のように眺めることが出来れば、それはもう一仕事終えた気がする。 光の裏側には闇が。 これもまた似た感じだ。 セットとして考えればそんなに問題が無いのかもしれない。 二つを同時に見る。 これは絵を描くときも大きな力だ。 そんな感覚を日常的に持つ時がきたのかもしれない。
ムーントーク :「表と裏で一つ」
ムーントーク :「表と裏で一つ」
等身大 [新聞ですけっち]
自分に合わない寸法の服を着るのは、やっぱり豊かではない。靴などは、もうそうなれば意味をなさない。こんな風に体のことは不快だとすぐに分かるのだが、心とか意識ではそうも行かないのは又人の持つ面白い所なのだろう。随分とそういう意味では自分をないがしろにしてきたことだ。「まずは自分の意見を聞こう」 と何故問いかけなかったのだろう。他人のことを優先することで人のためになる、と言う大きな錯覚がまかり通っていて、人が自分をどんな風に見ているかは、重大な問題だった。もうそんなことは風に任せて、自分に合った服を自由に着ても。そうして自分に合った世界が創られていくのだろうに。
ムーントーク :「人に正直から自分に正直へ」
ムーントーク :「人に正直から自分に正直へ」
時の感覚 [新聞ですけっち]
今日久しぶりに友人に会った。「この前会ったのはいつだったかなぁー。」 「さぁーいつだったかなあー。」と交わす会話も頼りない。「たぶん1年は経つね。」 「そうだなあー。そのぐらいなるねー。」 「いや、でも震災の話をしてなかったっけ。」 「あっ、そうか、そうすると半年ぐらい前だな。」 と言う話。 そしてその後車の中でラジオを聴いていると週一の放送、「あれ、これ昨日も聴いていたようなきがする???」 もう、1日前も1週間前も分からなくなってきている訳だ。時間と空間があるのは3次元の世界。いよいよその世界から追い出されたのだなぁーと。年のせいにしないところが自分でもなかなかだ。 こうして今年も図太く生きて来れたことに感謝です。
ムーントーク ;「時と空間がくっついてしまう」
ムーントーク ;「時と空間がくっついてしまう」
御礼・展覧会が終わりました [新聞ですけっち]
銀座での展覧会が終わりました。来て頂いた方ありがとうございました。ソネブロのかたも前回と同じく同じ日の同じ時間に3人の人に来て頂きました。こんな偶然が2回続けて起こるのも何とも不思議な気がします。そして日頃ネット上でお付き合いしている人と実際にお会いして話をするのは何とも言えない感覚です。一変に枠を超えて皆さんとワクワクガヤガヤとはいいものです。よき時間をありがとうございました。いろんなところで展覧会をしながらその時々の人に出会うことは大きな喜びで新しい世界の扉でもあります。そしてそこにはそこはかとなく縁の計らいがあるのものです。そんな所をこれからも大いに楽しみたいと思っています。
ムーントーク :「人と人との融合エネルギー」
東京からの帰りに八ヶ岳山麓によりました。黄葉です。
ムーントーク :「人と人との融合エネルギー」
東京からの帰りに八ヶ岳山麓によりました。黄葉です。